2018年 07月 13日
誰がために、鐘は鳴る。 |
先日。
何気なくテレビを見ていたら、災害ボランティアの方々の活動が取材されていた。
被災されたと思われる、ある家の片付けをしている様相の画。
家の成を見るだけでも、雰囲気から富裕であることが汲み取れたが…
その後の主人の、派手に塗った化粧面を見た瞬間、それは確信に変わった。
まだ洗えば十分に使えそうな家財と、ただ古いだけのような家財を、続々と外へ運び出し車に積んでいる「ボランティア」と呼ばれるお兄さん方。
ボランティア。
それって一体、誰の為のものなのか。
中国地方を襲った、未曾有の豪雨。
あの日から1週間経とうとしている。
今朝の地元は、一週間前とはうって変わって爽やかな快晴。
そんなギャップに、自然というものに対しての諸行無常を感じずにはいられない。
この災害に際し、ボクやボクの家族、知人縁者に至るまで…
幸いな事に大きな被害もなく、無事息災に過ごしていられている。
本当にそれは、有り難い事。
色んな人が、色んな思いを掲げ、この甚大な被害にどう向き合あったらいいのか…
本格的に模索を始めている。
ボクはボクで、こんな風に偉そうな講釈を垂れつつも…
お前に何が出来るのか?
と問われると、人並み以下の助力しか捻り出せない非力を悔やむばかりだけど。
そんな非力でも、出さないよりはマシかと自分に言い聞かせつつ…
儲けさせて頂いたなぁと思う日には、7の店のカウンターの、透明な箱のこれ見よがしなのが気に入らないのだけど、それでも青い我輩を少しばかり施す偽善に安寧している。
とはいえ、
出来る人は出来る事をすれば良い。
出来ない人は何もしない方が良い。
という事だけは、ボクの中でハッキリとしている。
元気をあげる
とか。
そんなのドラゴンボールなんかの世界だけにしといた方が良いかと思う。
先日、誰かのSNSの投稿で、
日本に元気を!
的な雰囲気で、某歌手の歌を皆で熱唱してる動画を流していた。
これね。
ボクが被災した当事者だったら、全く嬉しくないのは言うに及ばない上に、それどころかむしろ、少しムカつくと思う(笑)
でもこれは、ボクの破綻気味の人格の上でのこである事を特筆しておきますね♪
それはともかくとして、
「何をして欲しいか」
というのは、まず真剣に相手の立場に寄り添って考えないとダメでしょう、と。
あなたがもし、尾羽うち枯れて憔悴仕切ってるのに、YMCAとかを隣で歌われたらどんな気分になりますか?(笑)
殴りたくなりませんか?
人格破綻者のボクは、きっとなります(笑)
今回の災害は地元で起こった悲惨な事なので、嫌が応でも故郷に思いを馳せる。
というより、馳せざるを得ない。
そんな事を思ったり言ったりしても、何にもならないかもしれない。
それでも、心を寄せる事は大事な事だとボクは思う。
それをアピールする必要は無いですけどね(笑)
何も無かったようには、生活は出来ない。
何も無かったかのように生活をしてるように見えても、それはただ、何も無かったかのように装って生活をしているだけだ。
それは一種の逃避ではないかと、ボクは思っている。
こういう事は、全てを受け入れないと次に進めないような気がするからだ。
if の話なんて、なんの意味もないけれど。
それでも、ボクがもし同じ立場であったら…
望む事は2つ。
安易な同情は要らないという事。
一刻も早く普通の生活に戻るという事。
当たり前の事が、とっても尊いという事。
by radice-di-loto
| 2018-07-13 09:11
| diary