2018年 09月 25日
redundant。 |
蟋蟀が、鳴いている。
「りーりー」
という音が絶え間なく連続する。
まるでスラーだ。
そんな風に思うのは、ソナタやソナチネを追った少年時代の思い出の名残り。
しかし、絶え間なく鳴く蟋蟀どもだ。
涼しい夜風が運んでくる、蟋蟀のソナタ。
秋の風が運んでくるのは、蟋蟀の鳴き声だけではなく。
花の「はらから」達の、来訪。
ウチの為だけの来訪でないという事は言うに及ばないところだけど(笑)
それでも、嬉しい!
お客さんの来訪と同じく、有難い。
そんな花人たちと、普段聞けない成り立ちや奥底の…
言霊を交わす。
花を育てるというのは、本当に、我が子を育てるのと一緒なんだなぁと思う。
我が子、いないけど(笑)
農家さん。アンタら本当にすげぇよって。
雨ニモマケズ、
風ニモマケズ。
自分の花の話になると、どの方も少年少女のようになる。
そういう人の、花が好きだ。
そういう人の、生き様が好きだ。
沢山売るから、何だ。
沢山お金があるから、何だ。
そんなもの、
そんなもの。
リフトアップミドルフィンガーだぜっ!爆
余計な事を言ったり。
余計な事をやったり。
余計な事。
本当に余計な奴ですボクは(笑)
余計な事の大凡は、取るに足らない瑣末で粗末なプライドから湧いて出る。
「それも人間味だよ」
そんな風に、哀れな自己弁護をしたりする。
でもそれ。
滅茶苦茶損をしてるって事、知ってます(笑)
知っててやる奴の事を、
「阿保」
と。
世間ではそう言います(笑)
人格者は、余計な事は一切言わない。
文句も、愚痴も言わない。
自分とは、全然違ぇなぁって。
でもね。
そんな未熟な自分が、実はたまらなく好きなのである(笑)
だからボクも。
人格者よりも、そんな未熟者を愛せたらと思う。
余計なものも、余分なものも、全て内包して。
それが「花」で出来たら、最高の幸せだ。
死んでもいいよう、って。
その時は、心がそう言うのだろうね。
ソウイフモノニ、ワタシハナリタイ。
by radice-di-loto
| 2018-09-25 18:57
| diary